ナースママの徒然草

看護師歴8年、2020年11月出産予定のプレママです。自分の経験を発信していきます。

看護学校3年生 看護師国家試験の勉強方法

看護学生の集大成、看護師国家試験の思い出です。

 

私が現役時代、先生から何度も

「看護師国家試験は落とすための試験じゃないから普通に勉強していたら受かる」

と言われていました。

実際、新卒の合格率は90%以上で私の専門学校でも現役で落ちる人は数年に1度1人いるかいないか程度。

ただ、国家試験自体は既卒で受ける人もいます。既卒で合格しようとすると、予備校などもありますが自分で勉強し続けないといけないので既卒の合格率はかなり下がるため現役で受からないと厳しいことも言われました。

 

そうは言われても、私が3年生の時実際に国家試験の勉強をやり始めた実習が全部終わった11月末ぐらいからでした。看護師国家試験は2月。期間的には半年もないんですよ。当時は焦りと恐怖しかなかったです。年末年始も実家に帰らず家でずっと勉強してた覚えがありますが、それでも模試で合格点に届いたことはありませんでした。

 

看護師国家試験は「必修問題」と「一般問題+状況設定問題」の2種類で構成されています。

必修問題のボーダーラインは80%以上とることが必須ですが、一般問題+状況設定問題のボーダーラインは毎年変わります。

つまり、何が何でも必修問題で80%以上取らなければいけないのです。

 

国家試験に向けて、私がやり続けた勉強方法はいたってシンプルでした。

①最新のレビューブックとクエスチョン・バンクを購入する。

(もしかしたら学校で一括で買わされるかもしれません)

 

②クエスチョン・バンクの問題をひたすら解く。学校で受けた模試は取っておく。

③間違えた問題を解説レビューブックを見ながら理解する。解説に書いてあることが、レビューブックに書いてなかったらどんどん書き足していく。(付箋で追加したり、私はフリクションで直接書いていました。最終的にはページが足りなくなってレビューブックに紙を張り付けている友達もいました。)

※レビューブックはあくまで要約なので教科書みたいに詳しい説明はありませんが、逆を言えば国家試験に向けての知識は最低限でいいと私は解釈していました。解説に書いてあるような知識は国家試験でも求められると思うので、レビューブックに書いていない内容は追加していました。

④間違えた問題を付箋を貼るようにしてわかるようにしておく。

⑤クエスチョン・バンクを1周終わったら、間違えた問題をもう一度解く。間違えた問題だけ何回も解いていき、全部正解出来たら次は過去の模試をもう一度解く。模試もやり方はクエスチョン・バンクと同じです。

 

最新版をひたすらやる理由は、今年の傾向と対策がまとまっているのと試験までの時間がないので、色んな参考書とかが出ていますが結局終わらないと判断して確実に点を取れるようにやりこみました。

 

模試では一度も合格点を取れなった私ですが(いつも必修8割以上とれませんでした)、実際の試験では必修9割程度取れました。

国家試験の帰り道は、やり切った感がすごかったです。

そしてここから合格発表前までひたすら遊びつくしました。

(友達と行った卒業旅行先で出会ったのが、今の旦那さんでした。)

 

 

看護学校3年生 看護学生の就職活動

看護学校での思い出をまとめると、

バセドー病になって留年しかけたり、朝まで遊びまくったり、ひたすらお酒を浴びるように飲んだり、合コンに参加しまくったり看護学校での3年間は私の人生の中でとても濃いものになりました。かなり忙しい年間でしたが、遊ぶ時間もちゃんとあります。

 

学校生活3年間の集大成として看護師国家試験がありますが、その前に先に就職試験があります。

 

看護学生の就職活動

就職先は、専門学校が国立病院機構の系列だったので私の1つ上の先輩までは基本的に同じ系列(とくに、実習先の病院)に就職するように先生に言われていました。

(推薦で専門学校に入学している人、奨学金をもらっている人は必ず系列病院に就職するよう約束されているようでした。)

私の代では病院の経営の関係で学生をとれないとか色んな事が重なり、都立や私立の病院に就職する同級生が出てきました。私の後輩たちも色んな所に就職しているようなので、今は就職先はそんなに細かく言われないのかもしれません。就職する人もいれば、助産師を目指すために進学する人もいました。

 

私は系列病院に就職したので、一応就職活動もありますが正直就活はかなり楽でした。

面接でも、思い出に残った実習について聞かれたりどんな看護師になりたいのか聞かれたり、小論文も一応ありましたが書けたのかかけてないのかわからないような内容でも受かりました。(成績関係なく、就活で第一希望に落とされた同級生は誰もいませんでした。)

だからと言って、どこでも適当に受ければいいというわけではありません。

例えば、専門性が高い病院(高度救急救命センターがあるところ、ドクターヘリを持っているところ、専門的な病棟を持っているところ)は人がかなり集まるので新卒は取るけど中途や異動は基本的に受け入れませんというところもありました。

(※国立病院機構は全国に病院があるため、空き状況にもよりますが異動の希望があれば給与等待遇が変わらないまま病院の異動をすることが出来ます。)

 

もし将来なりたいものや、やりたいことがある人は、新卒の時に専門性が高い病院に入ったほうがいいです。もちろん、専門性が高ければ高いほど仕事はきついし辛いことも沢山あると思います。

でも、中途で新しい環境に飛び込む方がかなり勇気がいります。

私は看護師5年目で転職しましたが、その際に先輩たちから仕事がきつくてやめたいと思っているけど自分も同級生たちも同じ系列で働いていていてほかの病院を知らない。きついけど経験年数を積むと待遇とかもいいのを考えると外にでる勇気がない。という話をされました。(国立病院機構の看護師は公務員試験は受けていませんが、準国家公務員という位置づけになるため病院によって多少違いますが給与形態や福利厚生が公務員と似ています。)

最初だからこそ色んな選択肢があると思うので最初は妥協せずに色んなことにチャレンジしてほしいです。

 

認定看護師や専門看護師について気になっている人は、特定分野(特定の病棟)での実務経験が受験するために必要になるため、それも踏まえて病院や病棟選びをしてもいいと思います。

 

選ぶ基準がわからない人は、色んな所の病院見学に行って病棟の雰囲気を見て決めてもいいのかなと思います。

また、希望の病棟がある際に注意してほしいのは

・1年目から配属させてもらえるのか

→私の友人は救急救命センターでの勤務希望でしたが、病院によっては1年目からの配属は出来ないので最初はICUで勤務して何年間か経験を積んだら異動の希望が出せる等病院のルールがあったと言っていました。

 

・どこまでの処置をするのか

→例えば、一概にICUで働きたいと言っても病院によって対応できることが違います。かなり専門的な機械を使ったりするところもあれば、一般的な治療は出来ても設備の関係で専門的な治療は出来ないところもあります。私の後輩は、一度就職して3年目にもっと専門的なところで働きたいと転職していました。

また、私が転職した病院では転院になった場合看護師がついて行って対応してました。

 

・勤務時間

→夜勤が2交代なのか3交代なのか、定時は何時なのか等病棟によって異なります。

2交代と3交代はかなり向き不向きが分かれると思います。

私は新卒から5年間3交代の病棟で勤務し、その後2交代の病棟に転職しました。

その経験だけで簡単に比較すると(赤がメリット、青がデメリット)

◎3交代

・一回の勤務時間が短い(8時間)

・準夜勤務は看護師3人、深夜勤務2人なので準夜勤の時は勤務者が多いのでフォローしてもらえる

・準夜勤務だと、消灯後数時間で帰れるので夜の病棟が怖いビビりな私は準夜勤務が好きだった。(ホラー映画もみれないので、暗い病院が単純に恐怖だった)

・日勤・準夜・深夜で色んな組み合わせの勤務ができるためちょこちょこ病院に行っている気がする。まとまった休みが少ないと感じる。

・準夜勤の対応が微妙だった場合、その影響をもろに受ける

(例えば、寝れないという患者さんに対応されてなくて深夜帯ずっと起きてるとか)

・3交代は基本的に日勤→深夜がセットなので日勤後に仮眠して深夜に出勤します。日勤が必ず定時で終わるとは限らないので、仕事が長引けば夜勤までの時間が短くなり仮眠時間も短くなるため寝れなかったり寝坊への恐怖が強いので私は寝れなくてつらかったです。

◎2交代

・夜勤の後は連休がもらえる(明けと休みがつくので最低2連休つく)

・患者さんが寝る前から起きるまですべて見てるので、夜間の対応がしやすい

・ロング日勤や遅番の看護師がいることもあるが途中で帰ってしまうのでそれぞれ役割があり、夜勤の看護師は基本2人なので、苦手な先輩と勤務一緒だと辛い。

(病院によっては看護師のほかに夜勤に介護士さんがいたりすることもある)

・勤務時間が長い

 

病棟によってロング日勤、早番、遅番等色んな働き方があるのでその分勤務もかなり不規則になります。私が3交代で勤務していたところは準夜か深夜の分け方でした。

新人の時は、看護技術とか業務とか先輩と一緒じゃないとできないことや、やっちゃいけないことも多かったので仕事がなかなか進みません。なので、3交代で1回の勤務時間が短い方が精神的に楽でした。仕事に慣れてきたり、一人でできることが増えてからは勤務も単純な分2交代のほうが体は楽でした。

 

・病院の立地

→寮はあるか、通いやすいか、駅からの距離はどうか。

私が新卒で就職したところは、駅から徒歩30分くらいの距離で基本的にはバスを使っていましたが、電車の遅延やバスの遅れ、混みすぎてバスに乗れないことが何回かあり遅刻しそうになって焦った経験があります。また、仕事帰りもバスの関係で帰宅時間がかなり遅くなったりすることもあったので、立地はかなり重要かと思います。

 

あくまで個人の意見のため、感じ方は人それぞれちがうかと思いますが参考程度にしていただければ嬉しいです。

実習の思い出 命の誕生は奇跡

産婦人科で実習した時の思い出です。

 

妊娠から出産までの期間を医療用語で周産期と表現します。

周産期実習では、ずっと産婦人科にいるわけではなく保健センターや病院での母親学級に一緒に参加したり、デパートでどんな子供用品が売っているのかリサーチしたりしました。

そして、最後の最後に出産の見学をしました。

 

いつかは自分もその時が来るんだなと思いながら、見学させていただいた現場。

妊娠高血圧症があり、環境を整えながら出産に臨んだ方。

無痛分娩を希望していたが、出産の進行が速すぎて間に合わなかった方。

出産直前までは問題なかったのに、いざ生まれたら死産だった方。

 

帝王切開だった方は、手術室に入れない関係で見学は出来ませんでした。

偶然見学させていただいた出産にも、こんなに色々なエピソードがありました。

ひとくくりに出産というけど、みんなの通過儀礼のように言うけど、出産は十人十色。

色んな経過があって、色んな出産がある。

正直、なぜこんな痛そうなのに耐えられるの?って聞きたくなるくらい壮絶でした。

それでも、ママさんたちは出産してその後戸惑い不安だと涙を流しながらも赤ちゃんのお世話をしているんです。それって当たり前にしているけど、どれだけすごいことなんだろうと当時学生ながらに感じました。

 

いざ自分が妊娠して最近旦那さんとバースプランの確認をしたときに立ち会いをできる自信がない。痛がっている姿を隣で見ているのが辛いと言われて思わず自分も同じような経験をしたことを思い出しました。(私は出産の見学で妊婦さんが出産で痛がっている姿を見るのが辛くて貧血起こして倒れかけました。)

 

いま妊娠9か月になりましたが、この妊娠の前に流産を経験しています。

妊娠すること、五体満足で健康に生まれてくることがいかに奇跡であることかを改めて痛感しました。

 

実際勉強しても、見学してもやっぱり経験してみないとわからないことは多いです。

世の中の妊婦さんには優しくしてあげる人になろと思います。

実習の思い出 終末期について考える

アンサング・シンデレラの8話で終末期について描かれていたのを見て、私も学生時代や看護師になってから見送ってきた色んな方々を思い出しました。

 

実習で、終末期(ターミナル期ともいいます。命の最期を迎える期間のことを指します。)の患者さんを受け持ったことがありました。

 

その時の私は3年生で、看護学校に入学したばかりの頃よりはある程度知識もついてきて実習にも慣れてきている頃でしたがただの学生であることには変わりありません。

親族の死に目も見たことが無ければ、物心がついてからお葬式に出ることもありませんでした。

そんな私が、もうすぐ亡くなるかもしれない患者さんに初めて会ったときは純粋に怖いと思いました。怖いというのは、患者さんに対してではなく死を連想したからです。

生きていて、話をすることはかろうじて出来るけど病気の関係で意識ははっきりしていない。自分で動くことは出来ない。目は開いているけど、視線は合わない時も多い。

いくら実習で患者さんと話をするのが好きだと思っていた私でも、どう接していいのかわかりませんでした。

 

そんな時、ご家族から家に愛犬がいて入院したばかりの時は本人はその子に会いたがっていたという話を聞きました。本人は入院当初はすぐに退院できると思っていたが、数か月で病状が急激に悪化して今の状態になってしまったので愛犬には会えていない。心残りが無いように会わせてあげたいとご家族は話をしていました。

 

学生の私は、話を聞きながら愛犬に会わせてあげたい気持ちはあるがどうしていいのかさっぱりわからず。先生や指導者さんに報告の際にその話をしたところ、「会わせましょう!」と言うのです。当時の私は絶対無理だと言われると思っていたので目が点になりました。

そんなことできるの?って当時は思いましたが、看護師さんや主治医など色んな職種の人たちが協力して結果的に本人は愛犬に会うことが出来ました。病室では意識が朦朧として会話もままならなかった患者さんが、愛犬を見た目に力が戻って涙を流して愛犬の名前を呼ぶんです。その時は、その場にいた先生や学生、看護師さん、家族全員で感動して泣きました。

終末期は死をただ待つだけじゃなくて、やりたいことやしてあげたいことを叶えてもいいんだとその時思いました。

 

 

実習で素敵な経験をしたとしても、いざ看護師になると学生の頃とはまた違う立場になので新人看護師の頃は、亡くなった人を目の当たりにすることに対して恐怖しかなかった時期もありました。

その時先輩は「人生の最期に立ち会えることはすごく貴重なことだと思う。だから

、ちゃんと見送ってあげよう。」と声をかけてくれました。

 

゛終末期(ターミナル)゛や゛死゛という言葉には何となくマイナスの暗いイメージを感じます。でも、明るく見送ったっていいじゃないかと思います。むしろ、家族も本人も暗く悲しく最期を待つよりできるだけ明るい気持ちでいて欲しいと思います。

そのためには、本人はもちろん家族の気持ちも受け止める必要があります。

 

アンサング・シンデレラの中で「家族を支えることが大切」というシーンがあったかと思います。これを看護師の中では゛家族看護゛という表現をします。

患者さんは自分のことなので、受け入れられない方もいれば早い段階で受け入れる方もいます。でも、ご家族は残される立場なので最後まで受け入れられない方が多い印象です。今まで自分の家族を看取った経験がある方ってあまりいないと思います。初めてのことはみんな不安で怖いんですよね。そんな思いを抱えている家族を支えることも、看護師の仕事の1つでもあります。

 

看護師として働いていた時、今の思いや不安なことを聞くことやこれからの経過を知ってもらうことを私は心がけていました。

少しでも理解して受け入れてもらった上で、叶えたいことを一緒に叶えられるように最大限協力することが看護師の喜びなのかなと思います。

 

職業病なのか、結婚してから特に両親や旦那さんとの終末期について考えることも多いですが、悲しすぎて今はまだ考えられませんでした。

でも、漠然と家族の最期の時は自分が後悔しないように最後まで一緒にいたいなとは思っています。

いまは終活という言葉もあります。いい意味で、元気なうちに素敵な終末期の過ごし方を家族と考える時間があってもいいのかなと思いました。

実習の思い出 素敵な言葉

実習の中で、いい意味で衝撃だった出来事がありました。

 

実習は学生担当の看護師さんがついてくれます。

学生の指導を担当するような方なので、もちろんベテラン看護師さんです。

ある実習で出会った看護師さんは、自分の座右の銘を教えてくれました。

(看護師の座右の銘を看護観といいます。)

その言葉が、「看護は美しくあれ」という言葉でした。

 

¨美しくあれ¨という言葉をきいて、当時の私はあまりピンときませんでしたが素直に素敵な言葉だなと思いました。

 

でも、看護師として働き始めたときに色んなことを経験する度この言葉を思い出すようになりました。

・看護師として、人として誠実にまっすぐに患者さんと向き合うこと

・やるべき仕事をきっちり行うという意味での綺麗さや美しさ

(仕事のきれいさもだけど、保清の際にも患者さんを整えてあげるとか)

・患者さんやその家族への気配りができること(身だしなみ、整理整頓)

 

学生の時も余裕はなかったけど、働き始めると尚更ひとりの患者さんにかけられる時間は少なくなってしまう分態度とか仕事の内容とか丁寧に出来なかったりすることが沢山ありました。

でも、やらないといけないことは沢山あるけど優先順位を考えれば今すぐやる必要があるのはどれなのかとか、その分何に時間を使えるかとか、時間の使い方次第でわりとどうにでもなることも働くうちに学びました。

 

学生の時実習の中で一番好きだったのは、患者さんと話をしている時間でした。

どの指導者さんにも学校の先生にも、働いたらひとりの患者さんとじっくり長い期間をかけて話せる機会は少ないから学生のうちに話を沢山したほうがいいと言われました。

なので、同級生にもいつも病室にいるねって言われるくらい断られなければずっと病室にいた記憶があります。

 

実習で受け持つ患者さんは、長い期間入院している方が多いです。

家族の面会が毎日ある人もいますが、24時間入院生活をしている方にとっての面会時間って1日数時間なのであっという間に終わってしまう。看護師さんは時々病室に来る程度。病院なので暇つぶしをするにも制限がある。体調も万全でない。

そうなってくると、いくら話をすることが苦手な方や一人でいる方が好きなでも孤独を感じることが多いのかなと私は思いました。

具合が悪くて思うようにいかなくてイライラしている方ももちろんいました。

でも、それも全部理由があると思うので全部ひっくるめて色んな思いを共有できて、穏やかな時間を一緒に過ごせたことが本当によかったなと思います。

いろんな姿をみた上で、退院が決まった時なんてもう本当に嬉しいです。

 

看護師も患者さんも一人の人間だし、色々な思いがある。

看護師には定時があって仕事さえ終われば日常があるけど、患者さんにとっては入院生活が日常で私たちが帰った後もそれが続くのならお互い気持ちよく楽しく1日が過ごせたらいいなぁと看護師になって働いている今でも思います。

 

看護学校 2年生 看護学生の実習について

 

2年からは、授業も専門的になり実習も本格的に始まりました。

病院に診療科が沢山あるように(例:脳外科・整形外科・循環器・小児科etc...)、教科書も分野ごとにあり授業は看護学校の先生はもちろん現役のお医者さんや認定看護師さん、附属病院の看護師長さんが来ていろんな話をしてくれました。

 

ただ、授業や話の内容が疾患のこととか病気についてとか内臓の詳しい構造や働きについてとか専門的過ぎてついていくのがかなり大変でした。

教科書だけだとイメージもわかないし、訳も分からず暗記している感じでしたが2年生からは実習も本格的に始まるので授業で学んだことを実習で生かして理解していく流れでした。

 

1年生までは普通の大学生と変わらない感じで髪が明るくてまつエクしててお化粧ばっちりみたいな感じだった同級生たちも、実習が始まると派手にならないよう先生から厳しいチェックが入るので黒髪になり、化粧は薄く最低限、病院なのでずっとマスク、まつエクもちろんNGで2年生から卒業までこんな感じの学校生活を送るようになります。私は自分のメイク道具も持ってないような人間だったので、あんまり不便に感じることはなかったです。

 

実習は、大体1つの実習につき3週間くらいの期間で行ってました。

学年ごとに同じ病院の同じ病棟に行くわけではなくて、一緒に実習するチームを決めらます。そして、1年生のうちは班により病棟は違えど同じ実習をしているけど2年生からは分野別になるので班ごとに行く病院も行く病棟もばらばらになります。

まず何が大変って、同級生だけどそれぞれ別のことをしている(実習先も違えば学ぶこともやっていることも全く違う)ので仲が良いとか悪いとか関係なく自分の班の人とコミュニケーションをとっていかないといけないこと。慣れない環境で愚痴を言ったり相談できる人がいないのはかなり辛いので仲が良いに越したことはない。

ほかには、実習内容によって実習先が異なるので場合によってはめちゃくちゃ遠いところに毎日通うことになったりもする。免許があったとしても、実習中は公共交通機関で通うことが決められていたので上京してそんなに経ってない私にとっては電車やバスを乗り継いだり全く知らない場所に現地集合はかなり辛かったです。

そして、朝も早いので起きるのも大変だしやっと家に帰ったらレポートがあったりとかで実習中は毎日寝不足になります。

実習期間中もバイトに行っている同級生はいたけど、バセドーのこととかもあって私には両立が出来なかったのでバイトは実習が始まってすぐに辞めました。

 

実習は、対象(小児実習だったら子供、老年期実習ならお年寄り等)は毎回変わるけど内容的には同じような流れでした。

 

実習期間中に受け持ち患者さん(学生の話し相手になってくれる患者さん)が決められて、その患者さんをもとに病気についてだったり患者さんと医療者の関りだったり看護技術について学びます。

実習には看護学校の先生も同行するが、病棟にも学生担当の看護師さんがいます。

実習期間は3週間程度あるとはいえど、基本は学校にいることも多いので病棟の独特の雰囲気に毎回緊張していました。

 

 

甲状腺機能亢進症(バセドー病)発症 

※私は18歳でバセドー病を発症しました。必ずしもすべての人に当てはまるわけではないですが、もし同じような症状で苦しんでいる人がいたら病院に受診することをお勧めします。

 

看護専門学校に入学してから半年ぐらいたった頃から、授業中起きてられないくらいの眠気に襲われたり、元々冷え性なのにやたら汗をかくようになったり、朝起きれなくて学校に遅刻することが増えてきました。

バイトにも遅刻するし、朝寝坊するくらい寝ているにも関わらず家に帰るとぐったりしてすぐ寝てしまい学校の課題すら出来ていなくて友達が手伝ってくれて何とか提出していました。

 

徐々に学校に行くこともしんどくなり、休むことも増えました。

学校に行けてないし、授業中も家でも寝ているので成績は下がる一方でどのテストも赤点になるし授業態度が悪いと反省文を書かされたり今思えば心身ともにかなり辛い日々だったなと思います。

ある日、学校で先生に「目が飛び出ている気がするから一応病院に受診してみたら?」と勧められました。

あれよあれよという間に学校付属の病院にその日に受診する流れになり、1日がかりで採血や心電図などなど調べてみたらバセドー病の診断になりました。結構ひどかったらしく、脈も150回/分(正常値:50~100回/分)でかなり早くなっていて不整脈も結構出ていたみたいで、診察室で先生に「突然心臓が止まって調べてみたらバセドー病だったっていう人もいるくらいだから、早くに気付けて良かったね」と言われたのが今でも印象に残ってます。

看護学校の先生は、元看護師のため異変に気付いてもらえたのかな。

あの時気づいてもらえてなかったら、今どうなっていたかもわからないので本当に感謝しています。

 

ここからメルカゾールで内服治療が始まり、1か月くらいすると嘘みたいに普通の生活ができるようになり遅刻もなくなり赤点も全くとらなくなりました。

ただ、年度末に進級できるか審査の際にバセドー病を発症する前の出席日数や成績が響いて進級できないかもとなり東北から親も呼び出され学校で面談がありました。

その時には進級はもうできないので留年といわれ、自分的にはショックすぎて学校辞めようとまで思いましたがバセドー病の診断がついたことを踏まえてその後の成績やら生活態度を見た結果、校長先生の配慮もあり無事進級することが出来ました。

私にとっては怒涛の1年間すぎて、つらかったので楽しいことも沢山あったけど正直思い出したくない1年になりました。

 

東日本大震災の際に原発放射能の問題があったかと思いますが、私の住んでいた地域も原発からはかなり距離はあったけど放射能により甲状腺に異常がないか調べるために国から健康診断の案内が来ていました。母は、この健康診断で甲状腺にしこりが見つかり結果的には甲状腺がんだったため腫瘍摘出手術を受けました。私は関東にきていたので中々帰れないと先延ばしにしていましたが、早く受けていればもっと早く発見できていた可能性はあります。

この反省を生かして、市町村で受けられるような無料の検診の案内が来たらすぐに受けるようになりました。

 

私や母の甲状腺疾患は経過的に見ても、おそらく原発は関係なく発症したもので遺伝の関係もあるでしょうと医師からは言われました。

色々ありましたが、命に別状なく結果的に早期発見できてよかったです。

 

甲状腺機能亢進症の主な症状としてメルゼブルグの三兆項というものがあります。

①眼球突出(目が飛び出る)

本田圭佑選手の目が特徴的かも。私もこれでした。

②のどの腫れ

→首全体が腫れる。私は徐々に腫れていったので、最初は無かったです。

③頻脈(脈が)速い、動悸

→当時の私は自覚はなかったですが、走った後みたいに胸がどきどきすることがあったり普通に生活しているのに息が少し苦しかったりしました。

 

そのほかに、バセドーの基本的な症状として

・食欲があるのに体重が減っていく

・おなかの調子が悪い

・暑がりになる、汗っかきになる

・疲れやすくなる

・手が震える

等いろいろあります。

一番最初の検査は採血や心電図、のどのエコーをしました。

私は初診で内分泌科のある総合病院で診てもらえたので診断してもらえましたが、採血の項目が少し特殊(バセドー病の診断に必要な採血データは、普通の採血と調べる内容が少し違う)ため、普通のクリニックとかでも症状を伝えれば見てもらえるのかもしれませんが、疑わしい場合は内分泌科もあるところで診てもらうと良いと思います。