ナースママの徒然草

看護師歴8年、2020年11月出産予定のプレママです。自分の経験を発信していきます。

看護師としても、1人の人間としても自分の人生を改めて考えてみようと思う話

私は、高校3年生の時に東日本大震災を経験しました。

なので、看護学生の時から災害看護や急性期看護に興味がありました。

救命病棟24時、コードブルー、かっこいい素敵なドラマが沢山あってこんな風になりたいと思っていました。

看護学校で、「災害看護専門看護師」の方に講義をしていただきDMATの存在を知ってから自分がやりたいことはまさにこれ!と思っていました。

 

でも、学生時代から患者さんと話をするのが好きだった私のスタイルとかけ離れている気がする。進路に悩んだ時に、まずは救命には全身管理が必要だと思い新卒時代は呼吸器・循環器内科への就職を選びました。

そこでの経験で思ったのは、命を助けたら医療者はそこで終わりなの?ということ。

 

大前提は命を助けることだと新人の頃は思っていました。なので、延命を望まない人がいるという事実を受け入れられない時期もありました。

働いていると、病棟にいる患者さんはみんな治療をして元気に歩いて家に退院していくわけじゃないんだということが見えてきました。

とりあえず一命をとりとめて植物人間になった時、障害が残った時、どうやってこれから生活していけばいいの?という患者さんやその家族にも出会いました。

 

それぞれの結果がある分、それぞれのその後の生活があって生きていかなくてはならない。みんながみんなお金があって時間があるわけではない。

私は、病棟での患者さんや家族しか知らないし退院してからの私生活を見ることはもちろんありません。だからといって、見えないから安易に「なんとかなるよ」と放り出してはいけないんだと知りました。

命を助けて、退院後の生活まで考えて整えて、安心して退院できるようになってやっとよかったと言えるんだなと思いました。

 

「終活」という言葉がありますが、医療者はもちろん将来の生活や自分が人生の最期を迎えるときのことまでざっくりでも考えられている人は世の中にどれくらいいるんだろうと思う時があります。

人生何が起こるかわからない。なんなら思い描いた通りの人生を歩む人よりイレギュラーなことが起きる人のほうが多いと思います。

 

臨月に入ったばかりの10月半ば、父親から一本の電話がありました。

「血尿が出て病院に行って調べてもらったら、膀胱がんだった」と告げられました。

そして、手術をして細胞を調べてみないとステージ等はわからないこと、その手術や結果は私の出産予定日と同じくらいであることを聞きました。

新しい命がもうすぐ生まれるタイミングでの家族の癌の発覚。

親に孫を見せて、穏やかに過ごしたいと思っていた中でこれからどうやって親との時間を向き合っていくかを考えていかないといけないなと思いました。

 

私はおととし、家族を不慮の事故で亡くしています。その時は突然すぎて、誰も心の準備が出来ていなくて2年近く涙が突然止まらなくなったり思い出しては泣いたりの日々を過ごしていました。いまだに思い出すと涙が出ます。

余命宣告だったりタイムリミットがわかるのは、その分心の準備をしたり、向き合う時間を作ったり、後悔しないように過ごす努力が出来るということなんだと思います。

 

看護師として働いてきて、私が何より思うのはどんな状態になってもできるだけ後悔無く生きてほしいという事。世の中には色んなサポートやサービスがあるので、思っているより色んな選択肢があります。

 

地元にいるおばあちゃんは80代後半、両親は60代、夫と私は20代。生きているうちに自分の家族にあと何回会えるんだろう。あとどれくらい一緒に過ごせるんだろう。今のうちにしかできないことって何だろう。

仕事を辞めた今は時間があるけど、子育てが始まって仕事が始まったらまとまった時間が取れなくなって1年に1回しか会えなかったらおばあちゃんと会えるのはもしかしたら残り少ないのかもしれない。お父さんの癌が思いのほか悪かったら、孫の成長をあまり見せられないのかもしれない。そう思ったとき、目の前の仕事より大事なものもあるのかなと思うこともあります。

 

正解はわからないけど、後悔はしたくないです。自分の家族の最期は絶対に看取りたいと思っています。自分はもちろんどんな人も人生何が起きるかわからないからこそ、どう生きたいか考えて家族と話をしていきたいです。